江藤新平は東京での裁判による自らの意見の表明を求めたが、高知で逮捕されたのに佐賀で裁かれ処刑された。
西郷隆盛も東京での意見表明を求めたが、熊本で断られ戦争になり、最後まで戦い続けることでしか、自己を表現できなかった。
私の原爆原発PTSD薬物キュア(治療)研究はマスゴミには封印され、政治家に否認され(高校の同級生の河井克行議員、二回面会した民主党橋本議員)、学会中央で取り上げられることもなかった。
私が自己のPTSD研究を表現するには、学会の一般演題発表しかなかった。
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講談社「g2」「核という呪い」前編 に登場した途端に後編は潰され。