近親相姦とは書かない。近親レイプと書く。被害者は和姦に見えても、外傷的環境で選択の余地が全くないからそういう行為を行ったのであり、これはレイプである。この呼称は被害者の方の意見を取り入れたのである。
父親からの児童期の近親レイプトラウマについて傾聴したことがあった。「ラポール」が形成されたからこそ、患者は詳細に語ったのである。患者は淡々と話すが、その時の患者が感じた「恐怖」はこちらにも伝わってきた。後頭部に冷や汗が吹き出してくるのである。
ハリー・スタック・サリバンの「精神科医として給料分の仕事を果たすためにそこにいる」の言葉だけが逃げ出さないための支えだった。
ハーマンの「父ー娘 近親姦」に近親レイプトラウマ傾聴で泣き出す精神科女医が登場する。それは共感の涙ではなく、トラウマへの恐怖から逃走するための涙だった。
トラウマを「傾聴」する覚悟がないなら、さっさと精神科医を辞めることである。
「日本医師会」
PTSDのキュア(治療)とは「知識」ではなく「勇気」である。
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近親レイプトラウマを傾聴するときの「恐怖」
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